騎兵隊【2024年3月15日放送】 |
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2024年 03月 26日
【タイトル】騎兵隊
【放送日】2024年3月15日 【製作国】アメリカ 【製作年】1959 【原題】THE HORSE SOLDIERS 南北戦争下、南軍の補給基地となる駅の破壊を命ぜられた北軍の大佐と、その部隊に配属された軍医の少佐。ソリの合わない二人を中心とした部隊の進軍を描く。 ※公式予告編なし。ルーキーを演じたアリシア・ギブソンの偉業を代わりに。 VHSで一度観賞済み。その際のウィリアム・ホールデンのイメージがすこぶる良く、再見したいと思っていたところに放送が来たので観た。ジョン・ウェイン主演作品にしては珍しく、主役級が二人配される構造になっている。例えば「リオ・ブラボー」のディーン・マーティンは見事な演技だったが、脇役であることが明確だった。「アラモ」のように、当初ウェイン本人の出演を想定していなかった作品は別として、ウェインと並び立つような形で他の俳優が配されるのは珍しい印象。だがこの対照的な二人の構造がとてもいい。そして英断だと思ったのは、ウェイン演じるマーローよりもホールデン演じるケンドールの方が魅力的に描かれたことだ。コンスタンス・タワーズ演じるハンナの屋敷を接収し、作戦会議を開く場面。マーローはケンドールの会議から外し、ハンナと一緒に屋敷内の見学をするように勧める。この底意地の悪さと、それを大人しく耐えた上でハンナが会議の様子を盗み聞きしていることを突き止めるケンドールを比べれば、後者がよりよく見える。同情の余地はあるとはいえ、逆恨みのように医師そのものを侮蔑するマーローはやはり大人げないし、最後の最後まで医師としてあり続けるケンドールの方がいい男に見える。これはかなり思い切った人物造形に思える。 逆に考えれば、マーローという幼稚で嫌な奴もウェインにかかればある程度魅力的な人物になるということか。アリシア・ギブソン演じるルーキーが死んだ際の、ハンナへの真っ直ぐな謝罪。南軍の少年兵に攻め込まれた際に、先頭の大人だけは撃ってしまおうとする部下の銃をはたき落とすかっこよさ。ハンナの屋敷で自らの出自をまっすぐに語る真摯さ。マーローという人物を単なる嫌な奴で終わらせなかったウェインはやはり称賛に値するだろう。 ジョン・フォード作品ではおなじみという感じの酒飲みの軍曹や、荒くれだが気の優しい人間模様は観ていて楽しいが、今回はやはり死者が多く出る内容なので、切なさが先にくる。脚を切断することになった部下を見守るウェインの表情の影がいい。決して勝利とは言えない犠牲を出しながら、それでもなお橋を駆け抜け去っていくマーローの精悍さと、あえて敵地に残って動けない負傷兵に寄り添うケンドールの最後の対比もいい。そして驚いたのは、髪を下ろした際のハンナの美しさ。タワーズの美貌が現代にも通用しうるものだと示すものだった。ウェインの主演作の中ではあまり評価は高くないようなのだが、自分としてはラストの後味がとても好きな作品。やはりホールデンの存在感が出色、と思っていたが、そうか、他の俳優と並び立つといえば「リバティ・バランスを射った男」があったか。調べてみたら「エル・ドラド」はロバート・ミッチャムと共演だ。そう考えると、意外と懐の深い役者だったんだな、ウェイン。 #
by goodbyegirl1974
| 2024-03-26 01:15
| プレミアムシネマ
|
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2024年 03月 04日
【タイトル】クイック&デッド
【放送日】2024年2月9日 【製作国】アメリカ 【製作年】1995 【原題】THE QUICK AND THE DEAD 荒野の町で開催される早撃ちトーナメントに参加する女性ガンマンの活躍と、周囲の人々との関係を描く。 ※公式予告編なし。主演のシャロン・ストーンのインタビュー映像を代わりに。 シャロン・ストーン主演の西部劇、と聞いてあまり期待はしていなかったが、ジーン・ハックマン、ラッセル・クロウ、そしてレオナルド・ディカプリオという豪華俳優陣の魅力も相まって、なかなかに面白い作品だった。ストーンのガンマン姿はやや綺麗すぎる嫌いはあるが、それを差し引いてもいい映画だと思う。 ハックマン演じるへロッドに招待されて、ストーン演じるエレンがドレスアップして夕食を共にするシーン。絶好のチャンスで引き金を引かないエレンにやや違和感を覚えて、一度再生を止めた。だがそのまま観ていくと、その時の自分の逡巡や怯えをエレン自身が認識しており、それが物語の展開にも関わることになる。この構成はなかなかにうまい。エレンという女性が単なる腕利きのガンマンではなく、弱さを抱えた人間であることが伝わってくる。そして周りの人間がこの弱さを否定しないのがいい。普通は悪役は弱点を抱えた主人公を軽く見るのだが、へロッドは強がりこそ言うもののエレンを侮ることをしない。残虐さを持ち合わせたこの人物が、自分の生き様を貫こうというある種の一途さを持っているところが面白い。 コートを演じたクロウは当時まだ知る人ぞ知るという存在だったというが、自分の生き方を悔やみエレンに同じ轍を踏ませまいとする男をうまく演じた。何より、エレンに行き方を説く際に説教臭くならないのが素晴らしい。綺麗事のお説教になってしまえば全てが台無しなのだ。欲を言えば、銃を手にすると思わず撃ってしまう、というところを事前にもう少し見せてほしかった気もするが、ラストの見事な銃捌きを見るとそこまでは抑えておいて正解だったとも思う。それでこそ観客は最後にスカッとするのだ。鎖に繋がれたままで何とかコップの水を飲もうとするシーンの情けなさや、決闘相手のホースを一発で仕留められずに慌てるシーンなど、単なる善人には収まらないのがいい。それでいてエレンの味方であろうことは観客全てが理解をしていて、そのために皆が安心してラストまで本作を楽しめるのだ。 そしてキッドを演じたディカプリオが素晴らしかった。年齢を重ねた今の彼も素晴らしいが、若い頃からやはりいい。躁状態で決闘をこなすその笑顔から、父親の愛情への歪んだ渇望がしっかりと見て取れる。一言で言ってあやういのだ。いいガンマンであることは分かっていて、なのにどこかが非常にあやうい。だから皆が棄権を促すのが自然に見える。そしてその忠告に感情的にならないのがいい。自分があやういことを自分でしっかりと認識しているのだ。へロッドがコートを連れてキッドの店に銃を買いに来るシーン。ひねた態度を見せるものの、キッドはへロッドに対して踏み込まない。父に挑む理由をエレンに話すときの真っ直ぐな瞳。そして最期に父親に向かって伸ばす腕の切なさ。本当に素晴らしかった。アイドル的な捉え方をされていたし、いま見ても美しい青年だと思うが、やはり昔から演技は一級品だったと思う。 準決勝のエレンとコートの対決のシーンで、二人で示し合わせて一気にへロッド一味を殲滅にかかると思っていた。だからエレンが負けたときには、どういうトリックでこれを説明するんだろと思っていた。コートがエレンを殺すわけがないことは分かっていて、それでいてきちんとドキドキするように作ってあるのだ。その後、ダイナマイトとインクという、分かりやすすぎる伏線がきちんと回収されていくわけだが、ここで観客に「なーんだ」と思う余地を与えなかったのがうまかった。やや静かめながら、非常に効果的な爆発シーン。このテンポの良い展開は見事だった。サラッとした終わり方もいい。前半に少し感じた不安を見事に払拭してくれた。 ストーンは「氷の微笑」「硝子の塔」と、セクシャルな側面を強調するヒット作が続いた女優だけに、その後のキャリアの展開はいろいろと悩ましい部分もあっただろうと想像する。自ら制作にも関わった本作は、そうした彼女の心意気も見え隠れするような気がしてしまう。もちろんそれはこちらの勝手な想像なのだが、若い人が自分のキャリアを切り開く過程にある作品はやはりい勢いがある。まあどうしてもストーンが出てくると現代劇っぽさは出てしまうのだが、そこはまあ御愛嬌ということで、久しぶりの西部劇を堪能した。 #
by goodbyegirl1974
| 2024-03-04 23:23
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2024年 02月 14日
【タイトル】ディファイアンス
【放送日】2024年2月14日 【製作国】アメリカ 【製作年】2008 【原題】DEFIANCE 第二次世界大戦中、ドイツ軍に追われて森の中に逃げ込んだユダヤ人たちの逃亡生活と苦難を描く。 ※公式予告編なし。エドワード・ズウィック監督のインタビュー映像を代わりに。 久しぶりに新鮮な感覚で映画を観た。第二次世界大戦中のユダヤ人の苦闘はしばしば映画化されてきているが、不勉強ゆえに本作のように森の中で抵抗活動をした人たちの存在をこれまで知らなかった。初っ端から思いの外テンポよく物語が進む。テーマが重い故に、このテンポの良さに救われた感がある。ドイツ軍によるユダヤ人の連行及び殺害をもっと時間をかけて描く方が一般的な手法だろうが、今作はあくまで生き残った人々の苦闘を描くことに主眼が置かれている。極限状態における共同生活となれば当然人間関係の軋みが出てくるわけだが、そこも思いの外あっさりと描かれていて、これは個人的にはありがたかった。食料調達メンバーが勝手に自分たちの取り分を増やす場面。リーダーでありながら体調を崩しているダニエル・クレイグ演じるトゥビアの権力基盤が揺らぐ場面で、こうした組織内の人間関係だけでも映画のメインテーマとなりうるが、銃弾一発で解決した。ここで食料調達メンバー側の横暴が一時期でも通ってしまう描写になっていると、多分いまの自分の感性では耐えられなかったと思う。森の中で迎える1941年の冬。食料が底をつき、人々の不満が膨らみ、しかも食料調達作戦で失敗をする。リーダーに対しての批判が高まってもおかしくない場面で、最近の作品ならここでのトラブルをしばらく描く展開も予想されるが、本作は皆が協力して乗り越えていく。この前向きさが、その後の春の陽光の暖かさの描写につながっているし、ここでのトゥビアの統率が、ラストの河のシーンにおいてジェイミー・ベル演じるアザゼルに引き継がれていくのはうまい構成だと思う。 森の中の暮らしが過酷ではあるものの安定し始めたときにドイツ軍による包囲作戦を機にその安定が崩壊していくのは、定番ながらレベルの高い描写。連行したドイツ軍の伝令の兵士に、ユダヤ人たちが耐えきれずに皆でリンチを開始するシーン。コップいっぱいの水が表面張力でギリギリ平衡を保つかのようなところから、堰を切ったように一気に暴力になだれ込む描写が素晴らしかった。まだ少年であった息子を亡くした母親が口火を切るのも切なく、冒頭で個人的に復讐を果たしているクレイグの表情がまたよい。ドイツの一方的な殺戮と、個別に接した際の驚くほど脆いその人間性という描写が、ユダヤ人たちの欠落と対比をなして、重厚な表現となる。ラストのドイツ軍との攻防戦。最初の森の中での撤退戦で、女性が銃を構えて戦う姿に胸を打たれた。そしてその女性から撃たれて死んでいく。機関砲を撃っていた女性がやられたときの、左手が引き金から離れずに明後日の方向に銃が向いたまま銃声だけが響く描写も切なかった。その後、河を超えての最後の戦車部隊との戦闘でも、お高く止まっていると揶揄されていたインテリたちの死が描かれる。その、明らかに戦闘に不慣れな死に方が切ない。ここを乗り越えての大団円だけに、生き残る希望と、生者の胸に残る消えない傷が同居する、なんとも言えない後味となった。映画的な脚色はありながらも、こうした重層的な表現を貫いたことは評価すべきことだと思う。 一点残念だったのは、トゥビアとリーヴ・シュレイバー演じるズシュが兄弟だと途中まで気が付かなかったこと。これを踏まえてみれば、途中の二人の殴り合いのシーンや、それぞれが袂を分かったあとの並行しての戦いの描写もまたその意味を変えたと思う。だがそれを差し引いても素晴らしい映画だと思う。今日も、ウクライナやミャンマーで人が死に、ガザでは虐殺と言える状態が続いている。そうした自分の周りのことにまで想いを至らせる力のある映画だった。いま命の危機に瀕している人たちにも、どうか希望が残るようにと、そう願う。 #
by goodbyegirl1974
| 2024-02-14 23:07
| プレミアムシネマ
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2024年 02月 08日
【タイトル】遠い夜明け
【放送日】2024年1月9日 【製作国】アメリカ 【製作年】1987 【原題】CRY FREEDOM 途中までは結構ダレた。そのダレた理由も分かっていて、デンゼル・ワシントン演じるビコとその仲間たちの立ち居振る舞いに共感が出来なかったからだ。冒頭、ジョセット・サイモン演じるランペーレ医師が、ケビン・クライン演じるウッズの元に訪ね、ビコに関する記事の内容を糾弾する。このシーンからして、かなり黒人側が身勝手に映ってしまう。白人警官による黒人への理不尽な暴力などが描かれるにも関わらず、だ。黒人側の要求がかなり強硬な印象で、そのためある程度の暴力で対抗するもやむなし、となってしまいそうになる。ビコが法廷で答弁をする場面。ワシントンの演技は素晴らしく、ビコという人物の持つ聡明さやウィットが遺憾なく発揮される。だが、質問に関して正面から答えず、白人側が答えに窮するような言い回しでかわそうとする姿勢が所々に見えてしまう。これがかなりキツかった。おそらく、20代の頃までなら、このビコの振る舞いが痛快に映ったと思う。しかし、幸か不幸か自分は歳を取り、そしてこの答弁の構造が少しは見えるようになってしまった。質問に質問で返したり、質問に直接答えずに相手も同じ弱みを抱えていることを示唆したり。これは議論の術としては有用なものだと思うし、この時代の黒人たちが自らの主張を通していくのに必要なスキルでもあったろう。だが、現代の視点から見るとやや詭弁に聞こえる。ひろゆきが相手を論破する際のいやらしさ、といえばいいのだろうか。マイノリティの尊厳を確保しようとするカリスマ的な指導者の描写に関して言えば、致命傷だろう。 ここが上手く行かないために、ウッズがビコに興味を持つ過程も、丸め込まれているように見えてしまう。前提知識のない真っ白な学生が洗脳されていくような危うさがある。映画後半はビコに代わってウッズが迫害対象になるが、ウッズの危うさを後半にまで引きずることになった。ペネロープ・ウィルトン演じるウッズの妻ウェンディの一言が胸に刺さった。南アフリカは彼ら白人の故国でもあったのだ。ウッズは亡命をし、一家は故国を棄てることになる。ビコの言動に本当にそれだけの価値があったのかが、映画だけだとなかなか伝わってこなかった。アパルトヘイトに関しての知識がある程度あれば、また違う見方になると思うのだが。 しかし、そんなもやもやがラストでひっくり返された。これが意図されたものであるとしたら、リチャード・アッテンボローの術中にまんまとハマったことになる。亡命しようとするウッズ一家を乗せた飛行機に対して、南アフリカ共和国の空軍から待ったがかかる。このときに、ソウェトの学生のストに関して話すウッズとビコが描かれる。その後このストは暴動に発展し、多くの死傷者を出すわけだが、最後の最後でこの白人の黒人に対する一方的な殺戮を描いたのは、言葉は悪いが本当に効果的だった。ここで一気に、それまでの黒人たちの戦いの意味がここで一気に増す。ビコが命をかけた意味が最後の最後で描かれて、それまでの自分の認識が甘かったことが突きつけられる。尊厳を認めてもらえないということは、一方的に屠られるということなのだ。アパルトヘイトという体制が、黒人の生命の根幹に突きつけられたものであるということが示されて、最後の最後に物語は見事な逆転を果たして終わった。前半のダレをこのラストの伏線として機能させていたのだとしたら、この監督はやはり只者ではない。この展開に見事にやられてしまったし、これを踏まえて90年代以降のネルソン・マンデラの振る舞いを考えると、その重みが大きく代わってくる。年令を重ねてこうした反体制映画を素直に観られなくなったと嘆くべきか、それとも年齢とともにこうした複雑な構成の映画を理解できるようになったと喜ぶべきか。後者だと信じたいところだが、さて。 #
by goodbyegirl1974
| 2024-02-08 21:12
| プレミアムシネマ
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2024年 01月 17日
【タイトル】新源氏物語 4Kデジタル修復版
【放送日】2023年1月10日 【製作国】日本 【製作年】1961 市川雷蔵が宮廷女性たちの憧れの的・光源氏を演じ、美しい姫君たちとの恋を描く、けんらん豪華な時代絵巻。 ※公式予告編なし。本作も上映された「雷蔵祭 初恋」の予告編を代わりに。 もう何度も映像化もされていて、いちおうは学生時代に大まかな内容も授業で習った。光源氏なる人物には1ミリも感情移入できないので観るかどうかをかなり迷ったのだが、市川雷蔵が主演ということでこれはいちおう観ておきたいと考えて観賞した。結論から言うと、雷蔵様の魅力を持ってしてもやはり本作は自分にはキツかった。 まずもって光源氏が複数の女の間をフラフラと渡り歩く行為が正当化出来ない。母に似る女性藤壺への恋が軸となるが、他の女とも平気で寝てしまうし、拒むということをしない。若尾文子演じる葵の上との結婚生活もなんだかどっちもどっちという感じで、平たく言うと光源氏が苦しんでいるようにはとても見えないのだ。確かに雷蔵の佇まいは美しく、女性陣が惹かれるのは理解できた。だがその女性陣たちも、若尾以外にも中村玉緒演じる朧月夜、水谷八重子演じる末摘花、中田康子演じる六条の御息所などがことごとく品位に欠け、醜く見えてしまうのが痛かった。冒頭の、寿美花代演じる桐壺がいじめに遭うシーンからしてどうも入り込めない。やはり自分には宮廷文学は無理なんだと実感することになった。 その寿美の美しさは説得力があった。さすがに雷蔵も惚れるだろ、と客に思わせるだけの雰囲気がある。源氏が藤壺の元へと訪れ強引に関係を結ぶシーンでの、いやがりながらもという風情はさすがと言うべきものだ。また、その後頑なに源氏と会うことを藤壺が拒み続けるのもよい。ただ良かったのはこのあたりのみで、他は軒並み素直に入ってこなかった。特に、紫を強引に我が物にする際の源氏の軽さはどうにもいただけなかった。待てって言ってるだろ!とややイライラしながら観賞する羽目になった。 映画として本作を観た場合は上述のようにかなり評価が低いが、これは源氏の若い時代のみを映像化したことによるだろう。確か原作では、その後源氏の妻となった女三宮が柏木と密通し、源氏は因果応報の意味を知ることになるし、自分が藤壺と密通したことを父が知っていたのではと思うに至る。このあたりの描写があれば、もう少し物語の印象が変わったかもしれない。若い頃の派手な女性遍歴の部分のみを見せられると、なんとも言いようのない映画になってしまうということか。藤壺の芯の強さと気品に対応する美点を、源氏にも持たせてほしかった。 #
by goodbyegirl1974
| 2024-01-17 22:33
| プレミアムシネマ
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